お釈迦さまは「悟りを開いた聖者」と「悟りを開いていない凡夫」との違いを、第一の矢と第二の矢で例えました。
何か物につまずいた時に「痛い!」と思う。
美しい花を見て「きれい!」と思う。
これが第一の矢です。
この第一の矢は、悟っている人も悟っていない人も、同じように受けます。
問題は第二の矢です。
「痛い!」と思った後に、「だれだ!こんなところに物を置いて!」と怒る。
花を見て「きれい!」と思った後に、その花を摘んで家に持ち帰りたくなる。
これが第二の矢です。
「痛い!」と感じた後、次に怒りに移行する。すると怒りはどんどんエスカレートし、いつまでも心は不快なままになる。
「きれい!」と感じた後、その花が欲しい!となり、花瓶に飾りたい、庭で増やしたい、と執着の心がはたらき続ける。
「聖者も凡夫も第一の矢を受けるのは変わらない、しかし悟った聖者は第二の矢を受けない」
お釈迦さまはそうおっしゃいました。
◇
「痛い!」という思いを、怒りや苦しみに発展させてはいけません。
「きれい!」という感情を、欲望や執着に発展させてはいけません。
第一の矢だけで止めましょう。
「悲しい!」と思うのは良いんです。
しかし、その次、次の心、「不幸だ」と過度に落ち込んだり、「自分のせいだ」と自分を責めたり、そういう第二の矢を受けないように気をつけましょう。心をしっかり保ちましょう。
「痛い!」「きれい!」「悲しい!」「楽しい!」「びっくりした!」「何か言われた!」
これだけで良いんです。
第二の矢を甘んじて受ける必要はないのです。
「ムカついた!」→「イラっとした!」→「許せん!」→「怒鳴ってやる!」
ここまでいくと、何本の矢を受けているのか、分かったものではありません。こんな人は、幸せにもなれないのです。
◇
禅宗には「柳は緑、花は紅」という言葉があります。
一休さんも「今のわしには、山は山、川は川、木は木に見える」と言っていたそうです。
第一の矢まで削っています。
ここまでの聖者になれとは言えませんが、皆さんもなるべく第二の矢を受けずに済むよう、第二の矢を避けれるよう、意識して過ごしてみられるのも良いかと思います。
参考文献
仏教とっておきの話366 夏の巻
新潮文庫 (1995/6/1)
ひろさちや(著)
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参考文献
オトナの一休さん
KADOKAWA (2017/10/2)
NHKオトナの一休さん制作班(著)
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