七仏通誡偈(しちぶつ つうかいげ)というお経では、
諸悪莫作(しょあくまくさ)
もろもろの悪をなさず、
衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)
もろもろの善を行いなさい。
自浄其意(じじょうごい)
そうすれば心は自然に清らかになります。
是諸仏教(ぜしょぶっきょう)
これが仏たちの教えです。
と、教えてくれています。
「悪をなさず、善を行う!」
すごく単純で、当たり前の教えのように感じられますが、じつはかなり間違えやすい教えです。
「善」も「悪」も『人道』の範囲で考えるなら簡単です。
他人の喜ぶことが「善」で、他人の嫌がることが「悪」です。
漫画などで、心の中の「天使」と「悪魔」が葛藤するシーンを見たことがあるでしょうか?
思考の善悪を、天使と悪魔の姿で表現するのです。
👿「拾ったものは自分のものだ盗んでしまえ!」
👼「落とした人はきっと困っているぞ、交番に届けなさい!」
こんな感じで、善の化身である天使と、悪の化身である悪魔が、心の中で争うのです。
「善」が正義で、「悪」が悪党です。
「善悪」の区別、こんなことは誰でも知っていることかもしれません。
しかし、これらの「善悪」は、あくまでも『人道』における「善悪」なのです。
『人道』における善悪とは、(「性〇説の話」でも話したように)人間が成長すると共に得た経験や常識(思考や倫理観)が「これは善、これは悪」と、勝手に振り分けた(分別した)偽物でしかありません。
『思考の殻』として立ちふさがる、この経験や思い込みが、私たちに真実を見えなくさせているのです。
私たちは仏教徒なので、『人道』ではなく、『仏道』を歩むよう精進しなくてはなりません。
『仏道』で「善」を行うとは、
常に最善を尽くすということです。
ジャスティス(正義)ではなく、ベスト(最善)です。
「常にベストを尽くし、後悔しない生き方をする」。それこそが、仏道における「善」なのです。
一瞬一瞬を大切に。
今、この瞬間に全力を尽くす。
後悔しない。
今に最善を尽くすことが大切なのであって、成功するか、失敗するかは、じつは重要ではありません。
たとえ失敗したとしても、「これ以上はなかった!だしきった!」と、後悔しないことが大切なのです。
後悔して過去に思いをはせてはいけません。
後悔も過去も全て妄想なのです。
妄想することなかれ。(莫妄想)
過去を後悔するというのは、「諸行無常」や「諸法無我」の教えに反した、仏道の「悪」の行いになるのです。
後悔しないように、常にベストを尽くしましょう。
「諸悪莫作 衆善奉行」
この言葉を極めることが出来れば、
心はどんどん清浄に、
すっからかあの清らかに、
善も悪をもふっとんで、
仏の境地に至るのです。