先日、テレビを見ていますと、ある神社の神主さんが御朱印帳を書いていました。そのさい「うちの神社では決まってこの言葉を書くんですよ」と、ある言葉を書かれていました。
その言葉が「有事人生(ゆうじじんせい)」です。
「事が有るのが人生」。
人生とは良いことも悪いこともどんなことも起こる。
色々なことが起こるものだと覚悟して、日々生きていくべきだ、そのような意味だったと思います。
確かに、人生は良いことも悪いこともなんでも起こりえます、覚悟は必要かもしれません。
しかし、私がこの話を聞いて一番に考えたことは、
「有事人生」は仏教だったら、「無事仏性(ぶじぶっしょう)」だな…でした。
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一般的な意味での「無事」とは、何事もない、普段と変わりのないことをいいます。
しかし、仏教での「無事」とは、
何か起こっても、何事も有っても、事もなく、何事もなかったかのように普段と変わりなく過ごすという意味になります。
人生はどんなことも起こる。良いも悪いも色々起こる。しかし動じてはいけないのです。
何かは起こるけど、何事もなく、普段と変わりのないように過ごせる境地、これが仏教の「無事」なのです。
風が吹いても気にもしない、嵐が来ても「無事」である。
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明治時代の文学者に正岡子規という方がいました。
正岡子規は禅の勉強したり、お寺の坐禅会に通ったりと、仏教に大変精通していたそうです。
その正岡子規が亡くなるさい、このような言葉を残したそうです。
「禅の悟りとは、どんな場合でも平気で死ねることだと思っていたが、それは間違いで、どんな場合でも平気で生きることだと、わかった」
死を身近にとらえ、いつ死んでもいいように生きていくのではなく、どんな時でも、どんな状態でも平気で生きていく。
これが「無事」なのです。
「有事人生」、我々の人生にはこれからどんなことも、起こります。
しかし、あまりそれらに振り回されないようにしましょう。
良いことが起こった、悪いことが起こったと、一喜一憂しすぎず、どんな場合でも平気で生きていく、仏さまの境地を忘れないようにしましょう。
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樹木希林さんがテレビの過去映像でこう言っていました、
「人生は何が起こるかわからない、なるべく気楽に生きなさい」と。
何が起こるかわからない、そんな未来の不安に心動かされていてはいけません。
未来を考えるのなんてやめてしまって、気楽に生きていく。この言葉にこそ、無事を生きるヒントが隠されているのではないでしょうか?
無事仏性、平気で生きる、仏の境地。