シャカ族の王子として生まれたお釈迦様は、若い頃に贅沢の限りを尽くして、怠け放題に暮らしていました。
また、修行僧になってからは、苦行に苦行を重ね、命を落としてしまいそうなほどに厳しい修行で、自らを追い込みました。
しかし、これらの行動が、悟りに繋がることはございませんでした。
そんなお釈迦様が、菩提樹の下に座り、お悟りになった後に、導き出した教えの一つに「中道」というものがあります。
中道(ちゅうどう)とは「どちらにも偏らない」ということです。
怠けもせず、厳しすぎもせず、偏らない。
右にも左にも偏らない。
あっちにもこっちにも偏らない。
自分にも他人にも偏らない。
ちょうど良いところを進みなさい。
これが中道の教えになります。
◇◇◇
戦国時代の剣の達人に塚原卜伝(つかはら ぼくでん)という人がいました。
あるとき、卜伝に弟子入りを志願してきた男が、卜伝にこう尋ねました。
「わたしは一生懸命に修行します。それで、何年くらいで免許皆伝になれますか?」
「そうだな、おまえはなかなか筋がいいから、五年でなれるじゃろう」
男は再び卜伝に問いました。
「では、寝食を忘れて修行に打ち込めば、何年で免許皆伝になりますか?」
「それだと十年はかかるなあ…」
おかしい……と、男は思い、もう一度卜伝に尋ねました。
「では、死に物狂いで修行すると、何年で免許皆伝になりますか?」
「おいおい、それでは一生かかっても免許皆伝はできないぞ」
◇◇
血眼になり、死に物狂いで歯を食いしばって修行をしても、逆に遠回りになる。
それどころか身体を壊して辿り着きさえしない可能性まである。
卜伝のこの考え方は、仏教の「中道」の精神そのものです。
休むときは休み、やる時はやるのです。
◇
山を登るときに
山頂に立つことだけを目的に山登りすれば
必ず息が切れる
それで山頂に立っても、ちっとも楽しくない
わたしたちはゆったりと周りの景色を楽しみながら
山を登るべきである
そうした方がむしろ早く山頂に着く
それが「中道」というものである
仏教の「中道」は「頑張るな」ということではありません。
頑張りすぎずに頑張るということです。
死に物狂いで頑張っても途中で倒れては意味がありません。
がんばりすぎず、怠けすぎず、楽しみながら、日々を進んでいきましょう。
参考文献
仏教とっておきの話366 冬の巻
新潮文庫 (1999/10/1)
ひろさちや(著)
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