昔、お坊さんが4人、夜の田舎道を歩いていました。
老師と呼ばれる偉いお坊さまと、その弟子が3人。
4人は夜の田舎道を、提灯の灯り一つで歩いていました。
突然、フッと風が吹き、提灯の灯りが消えてしまいます。
夜の田舎道、街灯などありませんでしたので、4人は1メートル先も見えないような、真っ暗な暗闇に包まれてしまいました。
すると老師がこう言いました。
「お前たちはこの闇に何を見るか?」
この何も見えない真っ暗闇にお前たちは何を見るのか? 老師はそう、3人の弟子たちに尋ねたのです。
『ああ、老師がまた難しい問題(禅問答)を出していらっしゃる…これはしっかり考えねば! 』と、3人は一生懸命、自分なりの答えを考えます。
まず一番目の弟子が答えたのは、
「老師、私はこの暗闇の先に、大きく輝く翼を広げて飛びたとうとする、大怪鳥が見えます!」
「なるほど!まだまだじゃ」
次に2番目の弟子が答えました、
「老師、私はこの暗闇の先に、鉄で出来た大蛇が横たわり、今にも襲ってこようとしているのが見えます!」
「なるほど!まだまだじゃ」
最後に3番目の弟子に、老師が尋ねました。
お前はこの暗闇に何を見るか?
3番目の弟子が答えたのは、
「老師、私は足元を見ます!」
◇
この話が何を表しているのかと言うと、この「暗闇」とは、私たちの「未来」を表しているのです。
一寸先は闇と言いますが、先の見えない未来、これを暗闇に例えているのです。
普段生活していて、ある時、突然、フッと未来にとらわれてしまう瞬間がある。この先の見えない未来、暗闇が現れた時、お前たちは何を見るか?と、老師は弟子たちに尋ねたのです。
1番目と2番目の弟子は、暗闇の先、未来に、化け物を見てしまいます。未来に対する妄想。先の見えない不安、苦しみ、困難が待ち受けているんじゃないだろうかという怖れ、それらの考えが2人に怪鳥や鉄の大蛇など、化け物を見せてしまったのです。
しかし3番目の弟子が答えたのは『足元を見る』でした。
暗闇に包まれたのは仕方ない。
見えないものは見えない。
しかし、まずは自分の足元を確認する。
暗闇の中、ヘタに動き回ると転んでしまうかもしれない。まずは自分が今、確かにこの大地に立っていると確認する。未来は見えないが、確かに自分を支えてくれているもの達がいると確認する。家族であったり、仲間であったり、友達や、自分の経験、職場、お寺、そういうものに支えられ、自分は今、確かにここに立っていると確認する。
先の見えない暗闇に包まれても、化け物を見る必要はないのです。
まずは立ち止まり、自分と言うものを確認しましょう。
自分を支えてくれているものを確認しましょう。
「暗闇の先に 化け物を見そうになったら 看脚下(きゃっかをみよ)」