昔、中国の雲門大師が大衆に問われました。
「15日以前、今日までの事は何も尋ねまい。今後、どういう心持ちで生きていくつもりか、言うてみい」
(今日(?月15日)までどう生きてきたかは尋ねない、これからどういう生活をする覚悟か言ってみよ)
この問いに大衆は誰も答えられませんでした。
そこで雲門大師はしびれを切らし、皆に代わって、この一句を示されました。
「日々是好日(にちにちこれこうじつ)」
◇
昔、京都の南禅寺の門前に泣き婆さんと呼ばれる有名なお婆さんがいました。
このお婆さんは、雨の日も晴れの日も、毎日泣いてばかりいました。
ある時、南禅寺の和尚さんがそのお婆さんに尋ねました。
「お婆さん、あなたは見るたびに泣いていますが、どうしてそんなに泣いてばかりいるのですか?」
すると、お婆さんが答えます。
「和尚さま、まあ聞いてください。
私には二人の息子がいて、二人とも京都の町で商いをやっております。
長男は傘屋、次男は雪駄屋です。
雨が降れば、次男の雪駄屋が、今日は売れないだろうと可哀そうに思い、つい泣いてしまいます。
晴れの日は、今日は長男の傘屋で傘が売れないだろうと、可哀そうに思い、それまた泣かずにはいられないのです」
和尚さんはそれを聞いて、
「お婆さんや、それはあなたの心持ちが悪いのです。
雨が降れば、長男の傘屋が売れに売れて、目が回るほど忙しくなって、うれしいでしょう?
晴れの日も、次男の雪駄が売り切れるほどに売れて、これもありがたいでしょう?
あなたのように物事を悪い方にとらえてばかりいては、よろしくない」
和尚さんがそう教えてあげますと、お婆さんは「なるほど!」と合点し、
それから毎日、喜んで笑って暮らすようになったそうです。
物事は万事、心の持ちよう一つで、日々是好日と暮らせるように変わります。
まずは一日一日を「好し!」と生きていく、
今日、今、この時を、「好し!」と堂々と生きていけるよう、精進しましょう。
…
……
………
…しかし、これは言うほど簡単なことではありません。
今、日本ではたくさんの災害が起きています。
地震や台風、大雨、火災…毎年毎年どこかしら大きな被害が出ています。
想像もできないような災害が、いつ自分たちに襲いくるともわかりません。
そして、その災害が自分自身に襲いかかってきた時、私たちは「日々是好日」と生きていくことはできるでしょうか?
その覚悟を持てるでしょうか…?
…
……
………
…という、引っ掛け問題。
分からない、先の未来を考える、
このような考えもまた、日々是好日に反するのです。
好日とは、
日々の暮らしが重要なのです。
一日、一日を大切に一生懸命生きていく。
先のことを考えている暇などありません。
日々是好日。
一日一日を好日に、万事「好し!」と、過ごしていきましょう。
参考文献
無文老師の三分法話(第3巻)
同朋舎 (1982/7/1)
山田無文(著)
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