仏教徒であるからには、やはり「悟り」というものを目指したいものです。
成仏です。
成仏といえば死んでからというイメージが強いですが、必ずしも死ななければならない、ということはありません。皆さん方それぞれも、生きているうちに仏さまになる可能性は持っているのです。
一番良い方法は専門道場で修行する事だと思いますが、社会生活を送っている檀信徒の皆さまには、それは少し難しいと思います。自分に出来ることを考え、それを実行していきましょう。
例えばお寺で行われている坐禅会に参加するのも良いでしょう。お家でも、毎朝お経を読むなり、気が向いたら坐禅をするなり、少しづつでも、少しづつでも良いので、仏道修行に取り組んでいただければと思います。
ただ、無理はしないで下さい。
身体を壊しては元も子もありません。
自分に出来ることを考え、それを一心に行うことが大切なのです。
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昔、豊臣秀吉が太閤になってしばらくした頃、ある人物が秀吉に質問をしました。
「秀吉さまは大変な出世をして、太閤になったワケですが、さぞかし若い頃から、凡人とは違う、すさまじい心がけを持っていたのでしょう。いったいどんな心がけで太閤にまで出世なさったのですか? その心がけを是非ともお聞かせ下され」
すると秀吉は、
「わしは太閤になろうと思ったことは一度もない。ただ、足軽の時は、一心に、喜んで足軽の務めを果たしただけだ。するといつの間にやら武士の身分になっていた。武士になったら、また喜んで一心に武士の務めを果たした。するといつの間にやら、大名になっていた。大名になったからにはと、ますます励んで大名の務めを果たした。そして気づいたら、いつの間にやら天下を取っていて、太閤にまでさせられてしまっていた、というワケだ。だから、わしは太閤になろうと心がけたことは一度もない」
と答えられたそうです。
◇
一心に自分の仕事を果たし、国のトップにまで上り詰めた豊臣秀吉。
私たちも、その時その時、出来る事、やるべき事を、ひとつひとつ、一心に行うようにしましょう。
一心に行っていればいつのまにか、ある時、ハッと、とんでもない所にたどり着いているかも知れません。
参考文献
無文老師の三分法話(第3巻)
同朋舎 (1982/7/1)
山田無文(著)
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