第29回 薫習の話


薫習

 

くんじゅうと読みます。

 

「薫(くん)」は香を焚くという意味です。

「習(じゅう)」は習うという字を書きます。

 

お香を焚くと煙が漂い香りが身体に染み込みます。

 

薫習とは「仏さまの教えもまた、知らず知らずに香りのように体に染み込んでいくのだ」という教えです。

 

そして、その香り(仏さまの教え)をまとった人からは、ほのかに仏さまと同じ香りが漂うのです。

 

私たちもこの薫習を得られるように努力しなければなりません。

 

 

お寺に行く、お経を読む、坐禅をする、法話を聞く、仏さまに感謝する、ご先祖さまに感謝する。

 

何度も何度も、繰り返し繰り返し、身体に、仏さまの教えという「香り」を染み込ませましょう。

 

「いつも同じお経ばかり読んでるなー」とか、「あの和尚さんいつも同じ法話ばかりしているなー」とか考えずに、何度も何度も同じお経を読み、何度も何度も同じ法話を聞きましょう。

 

仏さまの教えというのはそれこそ、香りのように繊細で、はかなく消えていくものなのです。

 

 

失いやすく、忘れやすいものなのです。

 

 

形あるものは滅び、永遠ではありません」と教えられているはずなのに普段の生活でつい忘れ、執着してしまう。

 

過去や未来に捕らわれてはいけません」「妄想してはいけません」と教えられていたはずなのに普段の生活でつい忘れ、考えてしまう。

 

いつでも一生懸命に、今を生きなさい」と教えられていたはずなのに、どうしても忘れ、だらけてしまう。

 

 

仏さまの教えというものは、とても身につき難いものなのです。

 

 

だからこそ、私たちは仏さまの教えという香りを、延々と焚き続け、身体に染み込ませ続けなければなりません。

 

教えを焚いて焚いて焚き上げて、仏さまの教えと一つになり、自らが煙そのものになるまで、薫じ習しましょう。

 

仏さまの教えというのは香りのように繊細で消えやすい――、

 

自らが煙となり、香りとなり、仏さまの教えと一つになることが、私たちの救われる、一番の道となるのです。

 

 

 

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