先月、本山の大徳寺がニュースになっていました。
改装中の方丈の屋根裏から400年前の『ノミ』が見つかったそうです。
ノミとは木材を削ったり穴を開ける時などに使う大工道具です。
400年前の方丈建築時、屋根裏に残されたものらしいです。
どうして、屋根裏にノミが…? という謎に対して、当時の大工さんが忘れていったのだろうとか、自分が関わったということをアピールするためにわざと残していたのだろうとか、色々と推理ゲームが行われているようです。
こうして400年後の私たち現代人が、はるか昔に残された一本の『ノミ』について考えさせられるというのも、面白い話であります。
仏教で『ノミ』といえば、私は「恩讐の彼方に」という物語を思い出します。
『青の洞門』を作った僧侶、禅海をモデルにした物語です。
青空文庫で無料で読めますが、簡単にあらすじを紹介させていただきます。
◇◇
むかし、市九郎(いちくろう)という男がいた。
市九郎は江戸の旗本で働いている時に、主人の妾であるお弓と関係を結んでしまう。
ある時、そのことが主人にばれてしまい、市九郎は手打ちにされてしまいそうになる。
主人の振り上げた刀にとっさに反撃してしまった市九郎は、そのまま主人を殺してしまう。
主殺しという大罪を犯してしまった市九郎は、お弓と共に逃げ出すのであった。
◇
逃亡の末に市九郎とお弓は信州の山中で山賊になった。
峠の茶屋になりすまし、通る旅人を襲っていたのだ。
ある夜、市九郎は旅の夫婦を殺して、衣類をはぎ取りアジトへ帰った。
ところがそれを見たお弓は「こんな立派な着物の女なら、さぞかし上等の櫛(くし)や簪(かんざし)をつけていただろう! 捨ておくなんてもったいない!」と言って、一人で剥ぎ取りに行ってしまった。
血眼になって駆け出していくお弓の強欲さを見て、市九郎はフッと今まで行ってきたおのれの罪業の恐ろしさを悟った。
今まで行ってきた悪事が頭の中に蘇ってくる。
今まで殺してきた人間たちの叫び声が聞こえる。
自分はなんと怖ろしいことをしてきたのだろうか。
市九郎はその場から逃げ出すと、お弓に見つからないように山を降りたのであった。
市九郎はお弓から逃げ出し、美濃の浄願寺というお寺に逃げ込んだ。
そして市九郎は浄願寺にて得度し、了海という法名に改め、仏道修行に励むことになった。
その後、諸国行脚の途中、了海は豊前の耶馬渓にて、山の絶壁にある「鎖渡し」という難所の存在を知る。
高い岩壁に作られた鉄の鎖を命綱にした危険な道で、一歩間違えると下の川へ転落する――、毎年、幾人のもの人が命を落としているほどの危険な道である。
そこで了海はこの岩壁を貫いて隧道を開こうと請願した。
それがおのれの罪業を晴らすことになると思ったためである。
たった一人でノミと槌を持ち、了海は岩壁に挑んだ。
その姿を見て村人たちは「三町を越える大岩壁を人間が掘りぬくなんて不可能だ」と了海を嘲笑した。
しかし了海はそんなことは気にせずに、ノミでもって岩石をコツコツと掘り進めた。
カーン、カーン、と洞窟には毎日、了海がノミと槌を振るう音が響いた。
一年経ち、二年経ち、十年経ち…、
了海のその行動にしだいしだいに村人たちの心も動かされ、手伝ってくれる者達も多く現れた。
さらに数年経ち、もう少しで貫通という時に、了海の前に一人の青年が現れる。
彼が江戸で殺した主人の子供、実之助である。
実之助は父の仇を討とうと、了海を探して旅を続けていたのだ。
「そのもとが、了海といわるるか!」
「いかにも、さようでございます」
洞門から出てきた了海を見て実之助はたじろんだ。
ガマのごとく這い出ててきた、それは、人間というより残骸のようであった。
身体はガリガリにやせ細り、破れた法衣を纏い、髪は伸びて、顔は皺だらけである。
目もほとんど見えていないようだ。
「主人を殺して逃げ出した非道の汝を討つために、十年近い年月を費やした。ここで会ったからには、もはや逃がさぬ。尋常に勝負せよ!」
「実之助様、いざお切りなされい。この洞門は私が罪を償うために掘っていたものですが、十九年の歳月を費やして九分まで竣工しました。もはや私がいなくても村人たちが完成させてくれるでしょう。あなたの手にかかり、ここで人柱になったとしても、私には何の悔いもございません」
いざ了海を殺そうとする実之助に村人たちは「この工事が完成するまで、かたき討ちは待ってほしい」と頼み込んだ。
実之助も村人たちにそうも頼まれてはと承知することになった。
実之助は早く工事を終わらせるためと、工事の手伝いまでした。
敵と敵とが並んでノミと槌を振るう。
奇妙な関係であった。
やがて二年が経ち、工事は完成した。
繰りぬかれた岩壁の明かりを受け、いざ、かたき討ちとなるが、
しかし、実之助の心からは、すでに怨みの念は消え失せていたのだった。
◇
400年前に大徳寺を建てたノミもそうですが、この了海や実之助の振るい続けたノミにも仏様の心が宿っていたのではないでしょうか。岩壁と共に一心に崩していったのは、自らの後悔や怨みの心だったのではないかと思います。
ただ無心に一心にノミと槌を振るい続ける。
了海に余計な邪心があれば、岩壁を貫くなどできなかったでしょう。
一心に、ただ一心に行う心に、仏様は宿るのです。
「恩讐の彼方に」のモデルとなった耶馬渓にある「青の洞門」には、今でも当時のノミの跡が残っているそうです。