ある日、お釈迦さまは弟子たちに問題を出しました。
「世の中には悪行の報いで地獄に落ちる者がいます。しかし、同じくらいの悪行を積んだのに、地獄に落ちない者もいます。この違いはどうして生じるのでしょう?」
弟子の誰もが答えられませんでしたので、お釈迦さまはヒントを出しました。
「この手の平にいっぱいの塩があります。水の入った小さなお茶碗に、この塩を入れてみたらどうなりますか?」
弟子が答えます。
「お茶碗の水は塩水になります。とても塩辛い水になり、飲めなくなります」
「その通り。ではこの手の平の塩を、そこのガンジス河に投げ込んでみましょう。ガンジス河の水は塩辛くなりますか?」
「いいえ、そんな事はありません。ガンジス河の水はほとんど変わらないと思います」
「これがヒントです。これをヒントに先ほどの問題を考えてみてください」
しばらくして弟子の一人が言いました。
「分かりました! 地獄に落ちる者と落ちない者の違い! それは、その人の器の大きさによるのだと思います。善行を多く積んだ者の器は大きく、ガンジス河のように、少しくらいの悪行では水は塩辛くなりません。逆に善行の少ない者の器は小さく、茶碗の水と同じで、手の平いっぱいの塩でその水は飲めなくなるのです」
お釈迦さまはこの答えに頷きました。
◇
悪行の報いで地獄に落ちるか、落ちないか、その決め手はその人の器の大きさによる。
器の大きさを決めるのは、その人がどれだけ善行を積んできたか。
このお話でお釈迦さまが本当に教えたいことは、悪行を絶対にするな、と言うことではなく、善行をたくさん行いなさい、と言うことです。
人間が生きていく上で、どうしても、悪いコト、後ろめたいコトをしてしまう場合があります。つい感情に流されて、怒ってしまう、嘘をついてしまう、傷つけてしまう、約束を破ってしまう。
人間ならどうしても失敗はあります。
そういう時は、その悪行の、2倍、3倍の善行を行いましょう。
器を大きくしましょう。
そもそも悪行をそんなに行わなければOKなわけで、善行も無理せず、自分の負担にならない分だけやりましょう。
正しい行いを心がけましょう。
ゆっくりと「器」を大きくしていきましょう。
参考文献
仏教とっておきの話366 春の巻
新潮文庫 (1995/4/1)
ひろさちや(著)
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