第38回 施餓鬼の話


 

東光寺では毎年8月3日、13時より『山門大施餓鬼会』を行っております。

 

山門(さんもん)とはお寺のことです。

 

施餓鬼(せがき)とは餓鬼(がき)に施すという意味です。

 

会(え)とは法要のことです。

 

私たち凡夫が歩む六つの道(六道)に『天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道』があります。

 

物欲や執着、未練や後悔に飲み込まれてしまった者は、この餓鬼道(がきどう)に落ちて、餓鬼として生まれ変わると言われています。

 

餓鬼道に落ちて餓鬼になると「とても執着心が強く、決して満足することが出来ない」という苦しみが続きます。

 

※餓鬼の姿というと、お腹が膨らんでやせこけた鬼の姿を想像しますが、未練や後悔を持って死んだ幽霊なども餓鬼にカテゴライズされます。お岩さんやお菊さんなど著名な幽霊も餓鬼に分類されます。

 

何があっても満たされることがなく、ひたすら「もっと!もっと!」と、飢えと渇き、貪(むさぼ)りの心に苛まされ、苦しみ続けます。

 

この餓鬼道に落ちてしまった、餓鬼たちに施しを行い「餓鬼道から解放され、良い所に生まれ変わっていただこう」というのが施餓鬼法要になります。

 

もし、ご先祖さまや知人の中に餓鬼道に落ちているものがいたら救いたい。

 

他人であっても餓鬼道に落ちているのは可哀そうだから救いたい。

 

自分の身内(有縁)だけでなく、自分とはほとんど関係ないもの(無縁)も幸せになってほしい。

 

そういうやさしい気持ちが込められているのが、この施餓鬼という法要なのです。

施餓鬼

 

そして、和尚さまをたくさん集めて施餓鬼法要を大掛かりに行うのが、山門大施餓鬼会になります。

 

よく「死んだ人間がみんな幽霊になるなら、この世界は幽霊だらけでパンクしてしまう」と言われたりします。

 

確かにです。

 

人類が誕生して数百万年、亡くなった人は数千億人を上回るでしょう。

 

その何パーセントかでも餓鬼、幽霊として現世をさ迷っているとするならば、確かにそこら中が幽霊でぎゅぎゅう詰めになっていてもおかしくありません。

 

しかし、安心してください。

 

私たち寺院は毎日、有縁無縁の三界万霊に対して供養を行っています。

 

コンビニより多いと言われる寺院。そのすべてが行っているのですから、その供養効果はすさまじいものになります。

 

毎日毎日、有縁無縁への供養に明け暮れる。そういう意味でも寺院は大切なのです。

 

しかし、住職一人で行う施餓鬼供養よりも、皆さんが集まって行う、山門大施餓鬼会の方がはるかに力があります

 

和尚一人よりも二人、二人よりも三人。檀家さんも仏教徒です。菩薩様です。

 

僧侶が集まるほど、人が集まるほどに儀式の力は増していくのです。

 

僧団(サンガ)の力は個の力を圧倒的に凌駕します。

 

 

山門大施餓鬼会は、他寺の和尚さまたちも複数集まり、一気にお経を読み上げるので、とても荘厳で迫力のある法要になります。

 

よろしければ一度参加してみてませんか?

 

未練を残し、さ迷い続ける餓鬼たちに、施しを行ってあげてみてはいかがでしょうか?

 

 

 

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