昔、ある男が死んでしまい、あの世へ行きました。
死んだものは誰であれ閻魔さまの裁判を受けます。
その男も例外ではなく、閻魔さまの前に立たされることになりました。
神妙な様子の男に、閻魔さまはこう言いました。
「お前はまだ、死ぬ予定ではなかった。裟婆へ帰って、もう少し生きていいぞ」
「ええ……」
男は元の世界に帰るため、閻魔さまの帳場を後にしました。
◆
帳場の外は何やら賑やかで、お祭りのような雰囲気です。
よくよく見ると「あの世の見本市」という催し物をやっているではないですか。
「地獄館」「極楽館」「餓鬼道館」…人間が死んでから行く先の見本市が、ズラリと並んでいます。
「せっかくここまで来たのだから」と、男は少し見学していくことにしました。
「まずは、やはり地獄館だな。私にはとても縁がないだろうから、このチャンスにぜひ見ておかねばなるまい」
男はまず「地獄館」の中を見学することにしました。
地獄というからには、赤鬼や青鬼が亡者を痛めつけて苦しめているものだろうと、恐る恐る覗いてみますが……そんなものはいません。
こざっぱりとした洋間に、テーブルがずらりと並んでいて、まわりにはお客さんが腰かけています。さらに、テーブルの上にはたくさんの美味しそうな料理が並べられています。
「はて? 地獄館というわりには、まんざらでもないなあ」
そう思いながら椅子に座っているお客さん達を見て、男は驚きました。
テーブルの回りに座っているお客さん達は、みんな真っ青な顔をして、骨と皮ばかりの、ガリガリに痩せ細った姿をしていたのです。
なんだ? どうしてこの人たちは目の前のごちそうをとって食べないのだろう?
そう思い、よくよく見てみると、
そのお客さん達の体は、右腕以外が椅子に縛りつけられ、自由に動けないようになっています。
さらに、かろうじて自由に動かせる右手には、とても柄の長い、1メートル以上はあろうかという、長い匙(さじ)が縛りつけられているのです。
お客さん達は腹が減ったと、長い匙でごちそうをすくって食べようとしますが…上手くいきません。
匙が長すぎて、食べ物を口に入れられないのです。
すくって口に運ぶが、こぼす。
すくって口に運ぶが、こぼす。
みんな頭にかぶったり、背中にかぶったりで、まったく食べることが出来ません。
しかもお腹がすいてイライラ。
「お前のせいで食べれない」
「貴様は気が利かん、遠慮しろ」
と、お互いに口喧嘩までしています。
目の前にご馳走があって、それが口に入らない。
骨と皮ばかりになっても喧嘩ばかりしている。
「なるほど、これは地獄だ…」
男は地獄の恐ろしさを痛感しました。
「地獄館」から出てしばらく行くと、今度は「極楽館」と書かれた建物がありました。
「これこれ! 私が来るところはここだ! ここをよく見とかないといかん」
男は次に「極楽館」を見学することにしました。
極楽というからには観音さまか天女さまでもいらっしゃるのだろう、と入って見回してみますが、そんなものはいません。
小ざっぱりした洋間に、テーブルがあって、ごちそうがあって、お客さんが並んで座っている。お客さん達は体を縛られ、右手には長い匙が縛ってある。
「地獄館」とまったく同じです。
しかし、「極楽館」にいるお客さん達の様子は、「地獄館」のお客さん達とは全然違いました。
こちらはみんなふくよかな姿をして、ニコニコ笑いながら幸せそうに「ありがたや、ありがたや」と歌まで歌っています。
「はて、地獄館も極楽館も同じ境遇なのに、どうして客の様子がこんなにも違うのだろう?」
男がようく観察してみると、その理由が分かりました。
◆
「極楽館」のお客さん達は長い匙でごちそうをすくうと、
「どうぞお召し上がりください」と、
向かいの人に食べさせているのです。
自分の長い匙でごちそうをすくい、自分の口ではなく、向かいの人の口に持っていく。すると、いただきますと、向かいの人はおいしそうに食べる。
向こうからも「どうぞ」と言ってこちらの口に運んでくれる。
こちらも「頂戴します」とおいしく食べる。
これなら長い匙でも、こぼさずに食べることが出来るのです。
なるほど…地獄と極楽の違いはこれか。
自分だけが食べることを考える連中が集まると、この世は地獄になる、
まず人に食べさせることを考えれば、この世は極楽になる。
地獄と極楽の違いはここなのだ。
その事に気がついた瞬間、男は布団の上で目を覚ましました。
◆
地獄の長匙、極楽の長匙。
この話は、なにもあの世だけに限った話ではありません。
この現世でも、自分が自分がと、一人一人が自分勝手に生きてしまうと、たちまち世界は地獄になってしまうのです。
「どうぞ、どうぞ」「お互いさまです」と、やさしい気持ちを持って生きることを、忘れないようにしましょう。
そうすれば、
この世を極楽に変えることも出来るのです。
参考文献
末世を生きる
立風書房 (1996/11)
山田無文(著) 水上勉(著)
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